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KURATA PEPPER 倉田 浩伸さん

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KURATA PEPPER 倉田 浩伸さん

(出典先:KURATA PEPPER)

世界1と称されるカンボジアの胡椒を ”復活” させた1人の日本人。
現在に至るまでの歴史と、在るべく未来の姿とは。

【プロフィール】

倉田 浩伸 (Kurata Hironobu)さん

1969年10月24日生まれ三重県津市出身。 1992年にNGOのボランティアとして初めてカンボジアに渡航、カンボジアの胡椒産業復興を目指し1994年起業。
“世界一美味しい胡椒”を復活させ、世界中で大人気の胡椒製品を作り出す。
現在は、現地会社のサポートをしながら、日本で講演活動も行う。

KURATA PEPPER

(出典先:KURATA PEPPER)

KURATA PEPPER とは倉田 浩伸さんが立ち上げた、古くから伝わる 自然農薬・自然肥料を使った伝統的な農法にこだわり、作り上げた カンボジア胡椒を販売。今や、カンボジアのお土産として大人気。

目次

胡椒に携わるまでの経緯

初めてカンボジアを訪れたのはいつですか?

1992年の8月、当時は大学生3年生で、NGO活動の隊員(ボランティア)として訪れました。当時はPKO(国連平和維持活動)によって海外に自衛隊を派遣するか否かで、世論が別れていて、「国際協力」が問われた時代でもあり、そこで国際協力に興味を持ちました。

(出典先:KURATA PEPPER)

NGO活動のあとは日本に戻られたのですか?

そのままカンボジアに滞在しました。正確には、(在日邦人撤退命令等によって)帰国したこともありましたが、NGOによるカンボジアの戦後復興の活動に共感し、その後はNGOの職員としてカンボジアで活動しました。

具体的にNGO活動によってどんなことを感じましたか?

内戦が勃発してから、教育を受けていない方がいる現状を見たときに、 学校教育が均等に行き届いていないことへのショック、それと同時に、そんな中でも、日本人である私たちよりも、カンボジア人の ”生きる力” ・”生き生きしている姿” に感動し、「カンボジアの方にもっといろんなことを教えてもらいたい」と感じました。

(NGOによる)学校建設事業によって1棟の学校ができたはいいものの、生徒数が増えないという現実を目の当たりにしたときに、「違う関わり方が必要ではないか。」と感じ、NGOを退職し、どこかに就職しようと考えていました。現在もですが、当時のカンボジアは農業国で、カンボジアの方のお手伝いをして、農家の人たちの所得を向上させながら、何か自分にできることはないかと思い、1994年の5月に農業調査の為、カンボジアに事務所を構え起業しました。

そこから胡椒に出会ったきっかけとは何ですか?

(出典先:KURATA PEPPER)

カンボジアの農産物を日本に輸出しようと決めてからも、なかなか適合する農産物が見つからずにいて、たまたま実家に帰ったときに、1960年代に経済協力活動としてカンボジアに赴任していた親戚から1960年代のカンボジアのお話を伺い、資料を拝見したところ、1960年代のカンボジアには、”世界一美味しい胡椒”があったということがわかりました。ただ、当時1990年代のカンボジアの市場には、カンボジア産の胡椒はなかったので、どこで作って、どう流通しているのだろうという調査から始めて、アンコールワットだけでなく、農作物の面でもカンボジアが世界に誇れる胡椒を”復活させよう”と思いました。

事業のスタートとして、胡椒の輸出から始めたのですか?

そうですね。最初は生産種を探すところから始まって、ただ、まともに胡椒を生産している農家が全くなく、(内戦)以前の主要産地を周って、コッコン州スラエアンバルという地域の100本ほどの綺麗な胡椒の木を栽培する1人のおじいさんと出会いました。そのおじいさんと共に”カンボジア産の胡椒復活”に向け、その地域で育った胡椒を買い付けて、日本の企業への営業を重ねました。 その後、自社の農園を構えて輸出を重ねますが、今のオーガニック製品のように、品質がいいものよりも、値段が低いものの方が企業からすると需要があったため、最終的には、スタッフもやめていき、畑だけが残ってしまう、そんな時もありました。

お土産としての胡椒をスタートは、いつからですか?

2001年に秋篠宮殿下御接見の際に、胡椒をお土産として献上させていただいた時に、大変喜んでくださり、それをきっかけにお土産として方向転換してきました。 最初は、観光客の方もお土産としての胡椒への発想はあまりなかったです。そんな時に現在の妻に出会って、彼女が女性目線でのマーケティング手法によって、徐々に認知を増やしていき、”世界一の胡椒”が復活したと知れ渡るようになりました。

倉田さんが経験した1番の苦労とカンボジアの魅力

今までで1番苦労したことは何ですか?

言葉ですね。最初はクメール語通訳を介して事業を進めていましたが、通訳さんが都合のいい言葉に変えていたり、20代越えてから新たな言語を習得するのは大変でした。当時クメール語のテキストはなかったので友人を介して、子どもが言語を学んでいくように耳で学んでいました。

倉田さんが思うカンボジアの1番の魅力を教えてください。

カンボジアは、豊かな国だと思います。20.30年前からそうですけど、お金がなくても生きていける。今の日本は、お金ばかりを追ってしまう。カンボジアの人たちは、お金がない中生きていかなければいけないので、”人の絆”がとても大切なんです。人と自然がとても豊かで、”生きる力”が強い国だと、この国の人たちが教えてくれました。
しかし近年では、他国によるカンボジア開発が進んで、お金という麻薬がばら撒かれ、お金に目が眩んでしまい、地域格差が生まれてしまう現状になりつつもあります。カンボジアの人たちの想いを踏みにじるかのように、他国による開発が進んで、緑豊かなカンボジアが、失われつつあるのは悲しいことですね。

今後の展望

最後に、今後の展望を教えてください

(出典先:KURATA PEPPER)

今の会社の平均年齢が30歳ぐらいでみんな若くて、私は3年前に引退したので、カンボジアのスタッフだけで、(現地の)会社を運営していくために、技術面もモチベーションの部分も次の世代への指導方法に力を入れてやっていきたいです。
自分たちのやりたいことだけでなく、俯瞰的にみて、トレンドコピーするのでなく、自分たちがリーディングカンパニーとして胡椒産業をこれからどうしていくのか、現地の人たちをコミュニケーションを取りながらやっていくことで、カンボジア全体の経済や他の農業、外交も含め、カンボジアの次の若い世代に考えさせ、基礎教育に力をいれたいと思っています。
政治もそうですけど、お年寄りが国をリードするのではなく、若い人たちの意見を尊重し、持続可能な社会を作っていくことが大切だと思います。