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足利水月(あしかがみづき)さん

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   足利 水月さん  

 

【プロフィール】

 

足利 水月(あしかがみづき)さん

宮崎、大阪、東京を転々としてきた30歳。大学卒業後、外資系の広告代理店に3年半勤務。その後、JICA海外協力隊でカンボジアのケップに派遣され、その後日系企業に勤め、今後は国際交流事業を行う公的機関で勤務予定。趣味は旅、食に関すること全般、そしてラグビー観戦。  

目次

学生時代

転勤族とありましたが、どんな学生時代を過ごされたんですか?

両親が転勤族で、転々とする生活を経験しました。生まれは東京ですが、1歳の時に宮崎に来て中学2年生まで過ごしたので、育ちは宮崎です。その後、中学3年生から高校2年生までは大阪に住んでいて、高校3年生の時にまた宮崎に戻りました。大学に進学したタイミングで上京し、大学時代にはアメリカに1年間留学しました。

大学を選んだ時の決め手などはありましたか?

もともとは理系だったので、薬学部や医療系の学部に興味があったんです。ただ、転勤族というのもあって、受けられなかった授業もあったりして、理系に進むのは難しいと判断しました。そこで、早稲田大学の人間科学部を選択しました。ここは医療系の授業も受けられたり、心理学や人類学などの多種多様の授業もあって、学びの幅が広い学部で惹かれました。

アメリカ留学を決意した理由をお聞かせください。

宮崎から大阪に出たタイミングで、初めて都会っていうものを経験して。「世界って広い、こんなにも違うんだ」と感じたんです。そこから東京にも出たいと思うようになり、大学生で上京した時に、今度は「海外に出たい」と思うようになりました。その時、海外旅行はもともと好きだったので、せっかく行くなら長期だろうと思い、現地の大学に1年間留学することを決意しました。

社会人を経験して

最初の就職先に入ったきっかけは何でしたか?

    就職活動を行っている当時、周りと同じように就活スーツを着て髪を染めて…ってしている時に「なにやっているんだろう」と思うようになったんです。海外で働きたいという想いはあったので、商社や外資系をかたっぱしから受けてみたりしたんですけど、志望動機が上手く言えなかったりして。そんなとき、たまたま外資系の広告代理店に内定をいただき、価値観も合致していたので就職を決めました。

具体的にどんな仕事をしていたんですか?

私は営業職だったんですが、一般的な営業は商品ありきだと思うんですが、広告代理店の営業は商品を持たず、企画を提案したり、クライアントさんと一緒に考えながら一つの広告を作っていくというものでした。 休日も、一種の職業病のようなもので、仕事のことが常に頭の片隅にある、みたいな。コンビニに入った時も、並んでいた新商品に「これってどうやって広告しているんだろう」とか、いつも考えていました。

どんなところにやりがいを感じていましたか?

自分が関わったCMがテレビで放映されているのを家で見た時とか、何気ない時に自分の携わったものが見れた時にとてもやりがいを感じました。 しんどいこともあったけど、特にゼロから作り上ていくる過程がすごく好きでしたね。

転職を考えたタイミングはいつごろだったんですか?

就職3年目で、一般的に転職を考えるタイミングというのもあって、私も考え始めました。もともと海外に行きたいという想いは就職活動の時からずっと思っていて。その中で外資系に入社したものの、海外の仕事を担当しているのは10年以上勤めている先輩だったので、「私はこのままここにいても、少なくとも10年は仕事で海外に行けることはないのかも」と思ってしまったんです。そういったチャンスが回ってくるのを待つよりも、もう自分で行ってしまった方が早いと思いました。

JICA海外協力隊との出会い

海外協力隊に応募したきっかけを教えてください。

  ちょうど転職を考えている時にハマっていた世界で活躍する日本人を紹介する番組で、海外協力隊が多く取り上げれられていたんです。それを見て面白そうだな、とすごく惹かれたんです。思い返せば、就活の時にもJICAを見ていたこともあって、心の片隅でそういった仕事をしてみたいという想いはずっとあったのかな、と思います。

派遣までの期間はどんなことをしていたんですか?

10週間の派遣前訓練がありました。メインは語学の習得で、180人くらいが住み込みで参加していました。月〜土曜日の朝8時〜夕方5時までみっちり語学勉強をして、体力や団体行動も身に付けるためにランニング等も行っていました。中学校3年間の英語の授業数と同じくらいの時間をぎゅっとまとめた感じで、本当に一瞬でしたね。

当時の共同生活は今でも印象深いですか?

職種や派遣国もバラバラな人たちで共同生活をする経験は本当に楽しくて、協力隊の経験の中でも一番思い出に残りました。いろんな国の言葉が聞こえてきたり、理学療法士の方にマッサージしてもらったり、ヘナタトゥーアーティストの方にタトゥーしてもらったり、お互いに協力しあって、本当に家族みたいに生活していましたね。

コロナウイルスの影響などはありましたか?

本来は2018年10月〜2020年10月までの2年間、カンボジアで活動予定だったんですが、コロナの影響で2020年3月に帰国することになってしまい、現地での活動期間は約1年半と短くなってしまいました。そこで、残りの半年間は日本で地域貢献として沖縄をベースに活動しているソロモン諸島のNPO団体のボランティアに参加したり、アフリカを拠点に活動しているNPO団体でオンラインイベントや在日アフリカ人のインタビューなどのボランティアに参加したりしました。

カンボジアでの生活

どのようにカンボジアに配属が決まったんですか?

海外協力隊に受かったタイミングで、配属先も同時に連絡が来るんですけど、それがカンボジアだったんです。その当時は、カンボジアに行ったこともないし、イメージも浮かばないような状態でした。

具体的にはどのような活動内容でしたか?

カンボジアのケップ州の観光省、観光局プロモーション課というところに配属されました。JICAの隊員がケップ州に配属されるのは初めてで何も情報がなかったので、とりあえず見てきなさい、みたいな感じでしたね。ケップ州は特にフランス人をはじめとした外国人に人気な地域だったので、主に外国人向けのプロモーション活動を行なっていました。

活動の中で特に印象に残っているエピソードを教えてください。

Facebook等で情報発信を行う時に、現地スタッフからしたら、彼らの生まれ育った街・慣れ親しんだ街だからこそ、外国人からの視点でどんなところが魅力的な場所なのか分からない状態だったんです。 そこで、情報集めとしてインタビューに行こうとなったんですが、気が乗らないスタッフが多くて。しかし、ここで自分一人で活動を進めても意味がないと思い、彼らのやる気がでるまでずっと待ちました。 1年くらいかかったんですが、最終的にみんなが一緒にインタビューに行ってくれて、楽しそうに記事を書いてくれました。他にも、彼らの出勤する回数も増えたり、そういった周りの変化を見れた時はとても嬉しかったですね。

海外協力隊の後はどういった生活をしていたんですか?

やっぱりカンボジアで生活したいと思う気持ちがあったので、カンボジアの日系企業に就職しました。その中で、自分はどうしてカンボジアが好きなのかを再考した時に、民間企業よりも公的機関の方が自分にも向いていると気づき、自分のキャリアも改めて考え始めました。その時にたまたま国際交流事業を行う公的機関が公募を出していて、そこに合格して現在に至る、という感じです。

カンボジアの魅力やおすすめスポットなど、是非教えていただきたいです。

それはもちろんケップでしょう!ケップの観光大使ですから!笑 ケップに限らず、カンボジアの良いところは地方にあると思います。日本でも都会より地方のほうが人との繋がりがありますよね?それはカンボジアでも同様で、個人的に、優しくて人懐っこい国民性を特に感じられるのは地方ですね。言葉が通じなくても人の温かさを感じられますね。ケップに関しては、シーフードがとても美味しいし、プノンペンから3時間ほどで行けるので週末で遊びに行ったりするのもおすすめです。

今後の展望

最後に、水月さんの今後の展望を教えてください。

ざっくりと大きな夢で言うと、カンボジアに限らず色んな国のことを知りたいので、国際機関で働きたいですね。あとは、自分の好きなことと掛け合わせながら、やりがいを感じられる仕事を見つけられればと思います。「人の役に立っているな」ということだったり、「自分が動くことによってどこかの生活が良くなっていくな」ということだったりを感じられる仕事を続けていきたいですね。